I KSR-10 高度研究博士
学術研究機関-高度科学研究院

Kodo Science Research

( 藤  )

Andou ShoEki Study in Japan
学術研究機関
   高度研究博士       ( KSR )
-- 5年制 --
大学院
(Ngo立を含む)修士以上修了者 または 同等
研究力
のある方 一般市民研究者方を対象とし未来研究・
総合科学研究・高度科学研究
科学者養成します。
< 学位がなくても本院の学術審査会に対して
@論文の提出 A面接 等に合格すると入学できます >

Movie
東北のまつり=元気パワー=
Ngo国際大学連合=NIUC=Ngo International University Com

最先端を行くNGO生涯教育科学院Group=
Ngo国際大学連合
=NIUC=Ngo International Univercity Com


 @


安 藤 昌 益
( Andou Shoeki 1703 -- 1762.10.14.
人類初の万民平等の国家・文明を提起 )

ANDOU  SHOUEKI
安藤昌益さんは
科学が まだ 未発達・未熟江戸時代ゆえの誤りはあるものの 全体として
総合科学
未来科学原点に立ち 格差なき貧困解消人間=男女対等を
基礎
とした万民平等の国家 すなわち 農業労働からみ出される
食料
特定権力者財力者たちのためにではなくくの国民平等提供
すること
相互に尊敬と協力と信頼・・・にもとづく国家文明づくりの
基礎を提起
されました。
具体
的には アイヌ学平和学生態学医学産科学精神医学
言語学農学天文学社会学政治学経済学比較哲学
エコロジー学
予防医学東洋医学蘭学・・
という
最先端科学をも予測したれた知見確認されています



ヘーゲル学長( ベルリン大学長etc )よりも証法を発見 さらに
ヴォルテールルソーよりも 50〜100年も早く人間の不平等
を指摘し そ原因について真相を究明しました。
昆虫
自然から男女対等万民平等医療家族国家
文明宇宙・・れらの現象相互矛盾対立しつつ共存
進化・発展すべくてが連結していることかも何度まれわること
=
転生 することさに現代や未来の最先端科学へと展開する
宇宙の原則
を理解宇宙連邦政府高官らが 指摘したように
宇宙転生システム
もふまえており
総合科学・未来科学創始者と言われる由縁です。

以上のことを踏まえて このコーナーでは 藤昌益さん

@あゆみ(人生) A践・問の特性
B
際的な術研究のがり  
中心にした講義演習をいたします。
受講者は 準備等 よろしく お願い致します。
参考Movie
777--安藤昌益さん格差なき社会!!!宣言-
-NFS=NGO未来大学院


  課題研究の画 
超能力治療ギーロフ医師(ロシア-国家資格の医師免許 )-
-NFS-Ngo未来大学院

 A

LIFE of  Andou Shoeki
博士


安藤昌益博士( 国際NGO科学研究大学院 名誉博士)人生
昭和
47年(1972)に一関文書等が発見されるまで不明な点が
多く 架空の人物と
されたり たんなる空想家 奇人変人扱いに
されたり あるいは
マルクス主義の原点と言われたり
きわめてミクロ的なレベル 一部分の解明や評価
にとどまるものでありました。
あまりに博学で
宗教学農学博物学哲学仏教学儒教学・・
医学環境学政治学経済学・・とてもスケールが大きく
しかも
用語しき造語が多く 時代を超えた総合科学的
未来科学的な視点に立つ学者
実践家であったが それゆえに
日本
学術研究重要地位役割を果たし高い評価政治学者
丸山真男教授歴史学者家永三郎教授 奈良本辰也教授
その他の大物の科学者たちは
専門領域
を超えた安藤昌益さんの器の大きい学問と実践
- 質の高い観察と実験・作業・治療・理論構築

(自然弁証法の発見etc )
・・文献解読批判 観察と実践 思想と学問
つまり「
自然真営道 1752」の誕生への実態を
科学的に全体を解明
することはできませんでした。
誤解や理解不足 部分
的な解明に留まり科学的な解明が できない状態
 -- 日本
科学者たちの未熟さがゆえ -- 総合科学的な研究法
修得
しての解明は困難でした。

 以上
のようなことから 安藤昌益さんの科学的な理解解明
遅れていましたが 少なかった
文献資料等もしずつ発見され墓も
過去帳
(大館市二井田温泉寺) 石垣忠吉一関家文書「掠職
手記」
石碑銘等の資料発見により実在実態内容までもが
確認
され徐々にではありますが研究が進んでまいりました。

秋田県二井田
長者=豪農に生まれましたが 家庭理由
曹洞宗の寺院へ出家。
その後 京都の妙心寺( 臨済主宗 )
られました。らに大阪長崎・・東京千住etcへ転居と推察。
東京
で知り合った関係者の要請により青森県八戸藩へ移住。
最終
的にはまれた ふるさとの秋田県大館市二井田にもどり
地域改革実践され地域住民深く信頼・尊敬されて天国出発された。

二井田村での地域改革
は これまでの実践と理論の結実であり
住民から高く評価されました。
さらに
大阪大塩平八郎(1793-1837)さんらの自然災害と
人災で苦
しむ市民を救う社会改革の実践は
その背景に
安藤昌益さんの学問・実践に感動し 影響を受けた
結果だとする学説が 最近 提起されました。

儒教
仏教道教神道国学・・国民自由や平等を縛り現実
諸問題解決せず体制盲従する学問批判 知識層
権力者富裕層の差別に対しての厳しい批判と解決への道を
暴力
でも ウソでもなく不正でもなく 貧富の格差を暴力と言動による
独裁政治ではなくイヌ文明・社会をモデルとしました。
感謝
誠実さに満ちた神性アイヌ文明・社会高く評価
万民平等国家実現提起されました。
それは まさしく
最高精神の国家を構築した度な明の
らが証言する容と一致

現在も 安藤昌益さんの研究では 詳細
なことについては
不明な点は 多く残されておりますが 
今後
とも 科学的な研究調査継続することの意義・価値であり
その結果を待ちたいと思います。
なお ここで 強調しておきたいのは 1980年代に
安藤昌益全集 」( 全21巻 別冊 増補版3巻 )が
学者たちの手
によらずにくの

民間の研究者
たちにより編集され出版されたことです。
この機会
に ご努力された関係者の皆様方により感謝
申し上
げたいと思います。
今後
とも どうぞ よろしくお願い致します。りがとうございます。
ご苦労様でした。

Andou Shoeki andShizen Shineidou

最初
安藤昌益さんを発見された狩野亨吉博士
(京都大学文学部長)中央昌益さんの本自然真営道 1752
右端は 1972年に発見された安藤昌益さんの墓石等へ
訪問した研究者・一般市民の方々です。
参 考
@-安藤昌益-地球人類初の男女対等・万民平等を宣言!!!-
-NFS=NGO未来大学院

A
-UFO-ETI情報公開民主国家--科学者等の社会貢献-
-Ngo未来大学院-NFS

安藤昌益
さんは 医療と社会改革実践をし
ミクロ
からマクロな視点に立ち理論構築をしてきた学者
でもあり 科学的な研究調査が 全国的に進められており
安藤昌益さんの偉業は 日本だけに
まらない 地球人類をも代表する農業実践寄り添う医療
産科学・小児科学
人権学者・
平和学者
政治学者経済学者未来学者社会改革者・・・
となるのでは ないかと らためて
日本国内
に留まらず 国際的にも注目されてまいりました。
代の拡大する貧富の格差社会 戦争や原発
国民の生活を犠牲
にしたビジネスは 富裕層のための経済活動であり
人災で発生した事件は
いつの時代でも 真面目に働いている多くの
国民が 犠牲になる政治・経済・税金にあぐらをかく方々に反省を-
現代では地球管理人スチャイルド族のために
くの地球人類は犠牲になっている実態。
その解明と解決法が
安藤昌益さんの実践と学問にヒントが
められていることにづくこと課題提起する講義・演習・研究発表を
皆様と共に関係資料やデータから
解明してまいります。どうぞ よろしく お願い致します。



◆ 国際最先端科学研究連合---IASRC ◆
地球人類を飼育管理して方々=
Ngo国際大学連合
=NIUC=Ngo International University Com

B
Study & Practice  by SHOEKI

博士


安藤昌益
さんの著書 自然真営道
1899
(M32)学者-総合科学者狩野亨吉教授
( 1865--1942 京都大学学部長etc )により
250年歴史りから発見されました
安藤昌益
さんの著作一般の古典本とは まったく違い
当時の国家や伝統
的な倫理学問政治経済等基礎とされた
価値観すら根底から疑問を投げかけ独裁政治や
身分差別 貧富の格差 そして 農業・鳥獣
虫魚
から男女対等平等社会国家仏教儒教医療
臨床医学
産科学外科学言語学治学済学・・
以上のようなこれまでの日本人として
きわめて
異例なほどに博学であり 実践的論理的でオリジナル・・・
東京大学長
吉野作造(政治学者・民本主義 )博士
熱心めもあって東大図書館著書移管した(1923.3)
同年の9月1日に発生した関東大震災で ほとんどを
火災で失ってしまいました。  しかし 三上参次教授
が借りていた
12冊は 残りました。
1928年に狩野博士は 「 安藤昌益 」の論文を発表し
日本に大思想家がい
らっしゃること万民平等男女対等そして
世界自然弁証法を提起したことを発表しました。
敗戦後
においてはGHQ高官として訪日したカナダ
外交官
歴史学者ハーバート・ノーマン博士
(
E.H. Norman 1909--57)は 安藤昌益さんの著作に出会うこととなり
「独裁国家に抵抗する思想に出会い感動した」として

"Andou Shoeki and the Anatomy of Japanese
Feudalism" 2 vols. 1949, Tokyo

出版され 軍国主義国家から民主国家へと大きく歩みだした
日本社会多大影響与えました。
SHOEKI`S  THOUGHT


安藤昌益
さんは 15歳の時に郷里・秋田の禅寺(曹洞宗)
その後 修行
のために京都にある妙心寺(臨済宗)
日々修行
生活ったと推察されますが
つから仏門疑問将来への展望失望ライフえたか
不明
ですが 15--25歳ころまでは 在籍したとみられます。
その後は 儒教
びと医学へのへと大転換。
京都で 医学と儒学の本格的な学び・研究へと展開
され
すでに
修得した仏教もさらに解読したと推察。 
江戸時代の医学
は ほとんど専門化が 進んでおらず
内科・外科・鍼灸科が独立
しているにとどまり産婦人科など
本道の医師
が かねていました。 昌益さんの伝統的な「後世方」
Goseiho school
道は 病状の診断・薬方 鍼灸の実習
して医師としての習熟という10年間以上はかるくかかる職種であり
25--40歳頃までかかったとられ この間に総合科学の教養を
修得
しつつ 京都から大阪・長崎・東京千住などへと 医業を
みながら豊富な知見と体験・観察・実験・文献解読・・・
国際的な幅広い博学的な教養をも修得
したものと見られています。

その後 1735--1742年頃までは 開業医
としていのち」生み育てる
産科学を踏まえた小児科学と医師としての心の質を向上すべく京都の
小川書店
(1752.「自然真営道」を出版 さらに昌益さんの妻は 小川家の娘と推察 )
にある膨大蔵書を活用しての「読書ノート」を作成し幅広い教養を
修得
していったとの研究者指摘もあります。 
また 京都には オランダ商館
(カピタン)宿泊施設の長崎屋があり
外国の情報や書籍
に接しつつらなる博学医学に
総合的な学問研究
に その後の昌益博士の
出版活動へと展開していったとられます。



安藤昌益
さんは 東京の千住周辺の地で 様々な方々との
ご縁
により 青森県の八戸藩へと旅立つことを決定し 1744年
( 42歳 )
には八戸の医師として
開業していたことが 関係資料から確認されました。
八戸城下の町医者
として約15年間 定住して 「確竜堂」
を名のり 字は 「良中」を名のりました。  
昌益
さんの医療技術は とても高く評価されると
その
名前が知られると 町民のほか 家老までも彼の診察
けるようになりました。
  
また 仏教体験や深い仏教知見 そして 儒教に関する
教養と深い
理解
さらに幅広い教養は 八戸人々注目の的となり
知識人
たちが要請しての連続した講演では
八戸の人々に感銘を与え 徳の深
い とても心の優れた方との
印象を与えたとのことであった。 
しかし そのような特権者たちのからは しだいにざかっていきました。
そして
安藤昌益
さんのもとには 心から熱心に 真面目に 学び・理解し
この世界の真相を解明
したいとの方々が 自然に集まってきました。
 こうして多彩な
子弟が 藩医宮司武士商人・・・ 当初
監視体制もあり儒学朱子学教養から
スタート
しておりますが がて 1749--50年大飢饉から
自然災害だけではなく 人災による大量の死者が 発生。
大飢餓に直面
した人々は 手当たり次第に雑草を食べて
その中には猛毒の植物も含まれ大量の患者が 運びこまれて
安藤昌益
さんは治療に全力でつくしたもののくの患者さんが
死亡し医学治療の無力感に 悪夢に さいなまれました。
この時今までに30年間も学び・研究し実践してきた臨床医学が
崩壊。
それは たなる学問・実践への批判的な吟味・検証であり
これまでの
広く深い知見や体験・理解・理論に対する
再吟味・再構築
まりでありしい独創的批判精神原点とした
学問・実践
創出まりだった
 47--48歳
人生後期危機におけるたなる挑戦 出発点となり
大災害
観察調査分析した結果としてては自然調和する生活
農業政策商業活動農産物平等分配・国民健康増進策へ。
して差別や偏見身分制度暴力による政治・経済というエコロジー
無視した結果であるとして農業男女対等家族国家自然宇宙・・
体系
的な自然弁証法視点から常に活性運動する
生システムとしての
自然真営道 SHIZEN-SHINEIDOU. 1752
出版され問題提起されました。 

本・万民平等学術大会
in 八戸 1757
1757
年頃全国から高弟子たちが八戸集合して著作についての
研究デスカッションを開催。北
は 北海道から
長崎から青森八戸集合して( 約15人 )の質疑応答吟味検証であり
当時
としては 危険体制批判日々体験と観察調査治療・・・
理論
構築を図っており めてれた全国学術研究会という歴史上
特記
すべき事件であり 危険をもみずに開催され 熱心議論した
日本において最先端研究大会江戸時代ーカル
開催された意義計り知れません。

1757年
から秋田県大館市二井田故郷
どり これまでにび・研究
体験実践して理論構築した「自然真営道」
地域実践され
諸改革
を実施しくの住民から高く評価され 尊敬信頼をえる
こととなり
暴力や身分差別に依存しない 皆で尊敬し協力し信頼関係を
構築
しつつ人々が安心できる
生活と人生を豊かにする地域社会改革を実践し成功
させました。
そして 1762. 10. 14.くの住民看取られて天国へとたたれました
死に直面した安藤昌益さんは 一切 うろたえることはなく
また
生まれ変わって 何度も帰ってくるとし
ての生命体まれわるのだからと・・・
生システムとも言う最高精神を語ったとされています。
Movie
近代以後の転生科学=学術研究=
Ngo国際大学連合=NIUC

最高精神が宇宙を創出した=心も万物も=
Ngo国際大学連合
=NIUC=Ngo International University Com

 
D
昌益
研究際的がり
International Trends in Shoeki Study


安藤昌益
さん世界最初紹介された
E. H. ノーマン博士(1909--1957 トロント大学・ケンブリッジ大学院
・ハーバート大学院・歴史学博士・GHQ調査官・カナダ政府外交官etc )
が 1950(S25)年に岩波書店etcから出版して(英語版でも)世界へ発進。
日本の軍国主義政治
から国民主権の民主政治へと歴史的な男女対等
万民平等の国家
づくりへ きな大転換へと日本初の直耕互性平等
対等社会医学者を発見した著作を紹介する意義を世界へ発信。 
安藤昌益
さんが 生誕されてから 290年 そして 死後世界だってから
230迎えられた
記念
しての国際的な学術研究シンポジウム等開催事業
1992
年からスタートいたしました。

@中国済南市( 山東大学 1992. 9. 22.-23. )

A日本国内( 青森・八戸市-1992. 10. 17. - 18. )

B米ニューヨーク州
( コーネル大学-1993. 4. 2. - 3. )

で開催されました。以下 紹介
いたしますと のような
学術研究の講演・発表・質疑応答・デスカッションetc
ご覧
下さいますよう よろしくお願いいたします。

@中国済南市( 山東大学-1992. 9. 22.--23. )
SHOEKI Study in Santou University (CHINA)

左から
山東大学に参加された研究者たち 
大会開催に協力された鈴木正 副学長(名古屋経済大学)

中学術ンポジュウム - ( さん究 )


中国
での昌益研究シンポジウム1992. 9. 22.-23. 開催されましたが
この大会開催
は 鈴木正副学長( 名古屋経済大学)山東大学および
中国社会科学院ア
ジア・シフィク研究所合同協力結実されました。
日中学術シンポジウム
参加された方々は「安藤昌益全集」編集等に
関係
された つまり1987年同全集完結したことにより現代きる
安藤昌益さんを学習・研究してきたンバーさんたちが主体となり討論
集会
参加されたとのことです。日中昌益研究の成果
相互理解と学問研究の国際化
にありました。
一切の国家の関与
なしに純粋な科学としての総合科学
未来科学
視点から真相をデータや関係資料から
現代資本主義
のもつ金権主義とよりもネ」とのにより
全地球
政治経済 そして 医学科学アートまでも
格差社会 戦争と金融と情報と環境と言う地球の
無料
自然に対して勝手値段をつけてボロもうけする
スチャイルド一族国家犯罪安藤昌益さんの研究成果
問題解決
ヒント記述されています。日中合同学術研究
意義計り知れないものが ございました。

A( 青森・八戸市- Andou Shoeki in Japan )
< 1992. 10. 17 - 18. >


1992. 10. 17.-18
.に安藤昌益さんが医療活動学習研究講義
オリジナルな学問
・・・等で社会貢献された青森県八戸市にて
同市長始め 約1300人あまりの国内外の研究者
(米・仏・独・ロ・・・の科学者も含む)一般市民参加にて
国際昌益シンポジウムが 開催され 熱心な講演と研究発表・・・
といっても市長始め小学校から大学まで参加郷土究団体始め
界の方々がおこしをかねて ぐるみで会をり上げて下さったことです。
参加
された主な研究者たちはテツオナジタ教授(シカゴ大学)
安永寿延
博士(和光大学学部長)ジャックジョリー教授(パリ大学etc)
ェニスンベッカ教授(スタンフォード大学etc)アランウォルフ教授
(コロンビア大学etc)井上ひさし館長( 仙台市立文学館長etc )
その他-諸外国や国内の研究者 一般市民が多数参加された
有意義な時間を過ごされた大会でした

B
米国ューヨーク州( コーネル大学-1993. 4. 2. - 3. )

SHOEKI International STUDY in USA


1993. 4. 2. - 3.
米国ニューヨークイサカ市内にあるーネル大学
において日米科学者による国際安藤昌益シンポジュウム
開催
されました。
 
日本からは 光大学文学部長安永壽延博士台市立文学館長
井上やすし
館長約10人が渡米され 次のテーマで---
@北米における日本研究--日本研究の解析と批判--
A安藤昌益-- 安藤昌益と その現代的意義-- 」 
B 18世紀思想と歴史的方法というテーマで
諸外国
も含む研究者約20人方々講演や研究発表をされ
くの外国と米国科学者たちが参加して研究討議などが 大変
熱心地球のよりい未来文明に
貢献
寄与することが課題提起されました。 

Shoueki Study in Cornell University

1993. 2-3. 安藤昌益さんを学術研究した
コ-ネル大学係者-学者たち


国際
的なレベル一番最初安藤昌益さんをらしめた
E. H. ノーマン博士( 歴史学者・カナダ外交官)であり英語圏での
研究がりは業績社会貢献にあるとした。今回は
1985年
からめられてきた--ノーマン博士時代から半世紀ぎ--
ずしも正確厳密されていない箇所・語彙の誤り
等も認・されらに正確全体意味・理論構成が 明確になり
整合性をもたせるなどの作業がおこなわれ安永寿延-学部長
(
名古屋大学院博士-和光大学教授etc)が多大な貢献をされました。

   "ANDOU SHOEKI  
Social and Ecological Philosopher of Eighteenth-Centure
Japan, New York & Tokyou,1992
"by YASUNAGA TOSHINOBU
国際的な研究の発展のために英語版にて編集・出版され
公開
されました。その内容は
稿本「 自然真営道 」の中で中核思想を選び出し原著スタイル
に囚われずに冒頭に巻24「法世物語」 次巻25「良演哲論」
主要部分
そして最後には難解「大序」構成されています。
今回
以上著作(英語版)研究者に紹介今後研究発展
寄与
することを期待するものでくの科学者たちに多大貢献へと
予測
され 大会も成功でした。

術研究国際的ながり---主な究活動大学
トロント大学・ケンブリッジ大学・ハーバート大学・
シカゴ大学・ウィスコンシン大学・
ハワイ大学・コーネル大学・コロンビア大学・
プリンストン大学・オレゴン大学・M IT・
カリフォルニア大学・ニューヨーク州立大学・
スタンフォード大学・

ライデン大学・パリ大学・ベルリン大学・ベネツィア大学・
ヒュービンゲン大学・伊パドバ大学・ヴェイノスアイレス大学・
モスクワ大学・レニングラード大学・
ローマ大学・
チューリッヒ大学・ブカレスト大学
ソウル大学・成均館大学・北京大学・山東大学・南海大学・
杭州大学・中国社会科学院・河北省社会科学院・四川大学・
青島大学・河北大学・天津社会科学院・北京放送学院・
山東師範大学・吉林大学・中国中医研究院・河北師範大学
・・・
的な模で藤昌益博士究者が えてきました。

Movie
スッキリ人生で転生するETIたち=
=Ngo国際大学連合=NIUC=Ngo International University Com

Movie
レプタETIとは何者か=
Ngo国際大学連合=NIUC

地球文明実現より 念願します。

安藤昌益さん=地球SOS!!!解決のヒント=
Ngo国際大学連合=NIUC


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