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goマインド大学院




 

Kimura Rikio /  木村力雄博士
( 1935. 1. 28 -- 2015. 11. 2. )
教育学博士


現代
ペスタロッチ先生とばれた
東北大学教育学部 秋田聖霊女子短期大学付属中高等学校教諭
東北大学院教育学研究科博士 ハワイ州立大学院DR.
ハーバート大学院博士
ウィスコンシン州立大学院DR. 職能開発大学教官
東北大学教育学部教授 奥羽大学教育学部教授
仙台市教育委員会委員長

教育学・職業訓練学・産業教育学・教育行政学・教職学・
異文化教育学・マインド教育学・宇宙教育学・生涯教育学・心
教育学

木村力雄博士は 単なる教育学者ではありませんでした。
秋田県の中学校や高等学校
での生徒たちとの教育実践の経験があり
 そのほかにも
職業訓練大学校
にて日本の労働と教育の諸課題を解明され
さらに
宮城県内
東京都内等の子供たちや生徒たちの学校教育の現場にを運び
現代
児童・生徒たちが どのような学習集団活動 人権生命への配慮
平和
協力 そして 異文化への理解など イジメや非行 不登校苦しむ
子供
たちの実態に深く入りこんで真相解明しようとしました。

仙台市教育委員会の教育委員長
になられてからは
ジメや登校でしむ子供の側に立たたれ 諸問題解決のために
心血を注がれました。

大学では 質の高い教育行政の研究を 
わが国で初の文部大臣になった
有礼( 1847--1889 )氏の研究を進め教育行政異文化接触により
形成されたことを解明されました。
森氏
尊敬 もっとものないきれいな男評価した新井奥すい
(
仙台藩士 1846--1922 )氏を一緒に米国へ連れて行きして 新井氏を
スウェーデンボルグ協会
に案内し学び・研究生活へと
入っていくきっかけをつくりました。

 新井氏は 
その32年後1899年( 54才 )に無一文で日本帰国したが
そのあとで
無報酬
れた青年たちへと日本知的 心的な偉大教育者だと
新井氏の関係者たちは 高く評価しました。
このように
異文化を知り尽くした森有礼氏を理解するには
少なくとも 欧州第一級の科学者と言われ 50才後半から
きたまま
「あの世」
「この世」往復し その体験科学的に事実のみを記録した
マニエル・ウェーデンボルグ博士著作( 私費で出版 )
新井氏
感銘したとされ のきっかけをつくった大恩人森氏としました。
木村
博士は
一切の私見を捨て 文献資料と現地の研究調査から
わが国で最初の学制
を確立し施行した森有礼氏の研究を進めた意義は
極めて大きいといえます。
しかし
村力雄博士の業績は 教育学の分野だけではありません。

日本の技術立国
を支えてきた若者たちを養成する機関として創立された
労働省立の職業訓練大学( 職能開発大学 )の教官
として
業教育や教育制度 労働・雇用政策・制度史的・育的な視点から
人権・雇用・職業訓練・経済・生涯教育の実態等を緻密に
調査分析され解明されました。

しかも 科学研究に留まらず
常に 悩み・苦しむ勤労学生
を傾けて誠実に対応された教育者
であり 多くの学生たちに信頼され 尊敬された方でした。
どんなに 多忙でも 相談に心を尽くされました(
教育愛 )。
この
教育愛を注がれる姿勢は
職能開発大学・東北大学や奥州大学・仙台市教育委員長etc 
の立場であっても 児童・学生・社会人の方々に対しても
変わることのない一貫した姿勢でした。
特に
仙台の児童・生徒
たちのイジメによる苦しみ等を
抱えた方々
に対して自分のことのように心から寄り添う相談
等の活動--寝食を忘れて真剣に取り組まれ生涯
を捧げられました。
代のペスタロッチ先生とも呼ばれています。

次に
米国での研究生活について
木村博士は 
実に苦労の多い日々でしたが 異文化を理解し
理解できない完全英語の授業についていくだけで精一杯の
学習と研究にあけくれた青年の日々だったと語りました。
経済的
にとても苦しく とても苦労した日々であったと証言されました。
したがって そのような異文化と苦学の体験から
児童・学生・社会人たち その他 現場で苦闘する方々に対して
自分自身の問題として真剣に真心をこめた相談となり
荒廃する教育界にあっても
大きな励みや元気を提供し 教育に情熱を注がれた方であり
木村力雄博士に「けられた・われた」 との
声が ほぼ全国に存在し 少なくありません。
あらためて
先生の80年間の生涯に心より感謝申しあげます。

( 2016. 1. 1. Ngoマインド大学院の学生・職員・OB&OG・関係者一同 )

木村力雄博士は のような題提起をされました。

@自然宇宙調和する教育視点

A一人ひ
とりをから大切にする生命尊重視点

B欲なし無報酬で生涯教育を推進する的な視点

C異文化
平和協力・尊敬などを共有する視点

D科学的な調査・研究による姿勢未来科学的な視点

E新
しい価値観発見・研究成果などを柔軟に取り入れて
例えば UFO宇宙船や地球外生命体(
ETI )の存在
さらに
臨死体験や体外離脱により死後生存の世界を体験して
生還した方々の証言などを無視したり 排除すること
頭から拒否するのは誤りであり 未来に解明される可能性
を秘めている実態等を冷静に踏まえた視点が
重要だとしました。


以上の視点を踏まえて言うならば 
自分
価値観を押しつけたり アカハラする等は
絶対に許される行為ではない
としました。
科学者
として冷静柔軟対処すべしとしました。

古い学説に保守し 自分が苦労して確立した理論だとしても
科学者としては 絶対と言えるものは
ほとんど存在しない。

いつかは 新しい科学の成果に塗り替えられていくもの
であり
真の科学とは 進歩の中にあり 誤りもあり
絶対が あるとすれば 独裁や弾圧・情報隠ぺいの中に こそ
絶対が発生する そんな危険な存在ではないかと 課題提起されました。


常に未来に開かれた 青少年たちに開放された
国家であり 教育であり 行政・制度であり
いずれは 宇宙社会の仲間として
異文化 宇宙文明をも
意識した
を向上させうる開かれた社会
となることを期待したい。

以上
のように木村博士は証言されました。



著書・研究文献

1 ) 木村力雄 「森文政の見直しとマンデラ文政---比較教育指導行政史研究の
手懸かりを求めて」 文部省科学研究報告書 ( 「比較教育史
の総合的研究」 
No. 2  1981.<昭和56年> )

2 ) 木村力雄 「 『学制』に関する一考察」 職業訓練大学 (職業訓練に関する
調査研究報告書 第13号 1968.<昭和43年>  )

3 ) 木村力雄 「<シンポジウム> 学制改革の視点---歴史的視点から」 「狭義の
『学制改革』よりはまず『教育指導行政』の蘇生」( 「日本
教育行政学会年報」 
第10号 1982.<昭和59年> ) 

4 ) 木村力雄 「学校制度」 岩下新太郎・榊田久雄編著『要説 教育行政・制度』
金港堂 1984.<昭和61年> 

5 ) 木村力雄 「 近代学校体制の成立と終焉の論理 」 ( 職業訓練大学 『調査研
究報告書』 
第30号 1972.<昭和47年> )

6 ) 木村力雄 「 森文政期 宮城県に見る群村教育自理運動の限界 --- 明治公
教育における自由と平等の相克」 ( 石川松太郎他編著
『講座 日本教育史』 
第2巻 第一法規 1983.<昭和60年> ) 

7 ) 木村力雄 「 森文政期 宮城県における教育行政指導 」 ( 東北大学教育学
部教育行政学・学校管理・教育内容研究室 『 研究収録』
第11号別冊 『 明治啓蒙期における地方教育指導行政』
 
1978.<昭和55年> ) 

8 )
Rikio Kimura : ''American Influence on Japan Education in Early Meiji
Period'' ; Wisconsin University. 1965


9 ) 木村力雄 「 異文化遍歴者 森有礼---異文化接触と日本の教育 」 1986

10) 木村力雄 「 学制に関する一考察 ----- ジェファソンの自然の貴族制との
関連性」
1968( S43 )

11 ) 木村力雄 「 労働基準法における技能者養成規定の制定過程について」
職業訓練大学調査研究資料 第8号 1973( S48 ) 

12 ) 木村力雄 「学制に関する一考察----我が国において技能尊重の風潮は
醸成しうるか」
職訓訓練大学調査研究報告書 第13号 1967( S42 )

13 ) 「職業訓練指導員
のための教育原理」 職業訓練大学調査研究資料 第12号 1973( S48 )

No.13
木村著は 名作とされ 学生さん研究者たちから感動の著作だと言われています。

の他 木村力雄博士の公開していない書簡証言(関係者の証言も含む)
されたインタビュー等も引用にさせていただきました。





森 有礼
初代の文部大臣
( 1847--1889 )

日本の教育制度の基礎を構築
された異文化の体験者であり
彼の生き方・思想は
木村力雄
博士により解明
されつつあります

 
 


 木村力雄博士   林竹二博士  早坂秀雄博士

三人の科学者は
いずれも東北大学の最先端を
いった優れた未来科学者
でした。


三人の科学者たちは
現状の諸問題に目をつぶることなく
誠実に 前向きに
諸課題の解決のために
真剣に取り組まれた研究者であり 
学生等から信頼され尊敬された教育者でした。

ありがとう そして 御苦労さまでした。

 


球はいつまでも 青くないだろう

なぜならば

球文明は 儲けのために
ジネスのために
環境
破壊しているのだから




 



地球文明

もった お母さんったら
もっと もっと

たかまっていくだろう

なぜなら そこに 

欲しない宇宙愛が

あるからです

 




この地球に

生きる価値が

あるとするならば


一切の差別や偏見をやめ

異なる価値を共有し

平和と協力 そして 違いを認め合う

心の質を向上させて

どこまでも個性を尊重する時

格差のない社会を実現する時

ではないだろうか






 
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